クリスマスを待ち望むアドベントの日々を過ごしています。今日は救い主イエス様がこられる前に、その道備えをした人、洗礼者ヨハネの記事をご一緒に読みましょう。
「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。『荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』
マタイによる福音書3章1節~3節
荒れ野が広がっています。青草もなく、水もない。あるのはただ荒れ果てた、石ころだらけの大地だけ。来る日も来る日もこのようなところを旅する旅人を思い浮かべます。
私達の人生の旅路。やたらとのどが渇き、一滴でも冷たい水が飲みたいと願います。ああもう駄目だ、今にも倒れそうだとあきらめかけたその時に、遠くから大きな叫び声が聞こえてきます。
ここに命の水がある。さあ、今こそ、その水を飲む備えをしなさい。救いの泉がやってくる。さあ、そのお方を迎えることが出来るように、あなたの心を整えなさい。このように、洗礼者ヨハネは、救い主イエス様がこられる前に、人々の心を備えさせました。
「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」 マタイ3章11節
ヨハネは、人々に勧めました。悔い改めなさい。これは一体どうすることでしょうか?
聖書での悔い改めは「方向転換」を意味しています。たとえば、今の今まで神様がおられることを知らないで自分中心に生きてきた人が、神様の前にその事をお詫びして、自己中心から方向転換して神様中心への生活に切り替えていく事です。
それに関連してヨハネは、こう言いました。「わたしは、水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、聖霊と火で洗礼をお授けになる。」
私は、時々子どもたちにこんな話をします。「みんなねー。お洋服が汚れたら水で選択して綺麗(きれい)にします。体が汚れたら、シャワーを浴びたり、お風呂に入って洗い流します。では、心が汚れたらどうすればいいかな?」子どもたちはちょっと困った顔になります。外側が汚れたら水で洗い流す、ヨハネが与えた水の洗礼がイメージできるかもしれません。
他方、この方、すなわちイエス様が授けられる洗礼は、聖霊と火によるものでした。それは隠された心の奥も含め、すべての穢(けが)れを焼き尽くす火であり、完全なきよめ、人間の根本的な造り替えをもたらすものでした。その時、人は、完全なきよめ、根本的な造り替えを体験して、決して渇かない救いの泉を飲み、魂の渇きが癒(いや)されていくのを体験するようになります。
洗礼者ヨハネは荒れ野で叫びました。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」クリスマスが近づいています。心を神様に向けるチャンスです。救い主としておいでくださったイエス様を、信じて新たな歩みへと入っていきましょう。罪を認め、聖霊と火の洗礼を授けていただきましょう。それは人生でもっとも幸いな方向転換です。