聖書一日一章のみ言葉から

列王記下19章3節~4節「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを生み出す力がない。生ける神をののしるために、その主君、アッシリアの王によって遣わされて来たラブ・シャケのすべての言葉を、あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。あなたの神、主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろうが、ここに残っている者のために祈ってほしい。」

アッシリアによって追い詰められたヒゼキヤ王は、預言者イザヤにもとに、この言葉を送りました。危機にあって、何かを言うことができるとすれば、祈りの言葉なのでしょう。弱い人間にとって、自分の力に頼ることができないと感じたときに、祈ることができるということは救いであるのかもしれません。