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2016年3月「本当の頑張る生き方!!」

  私達がよく使う言葉の一つに「頑張る」というのがあります。ある時、障害者の福祉担当の方が、こんな風に話されました。「私は、色々な方に、つらいでしょうけど頑張って下さいね、と声をかけるのだけれど、中には、頑張るという言葉の嫌いな方がいます。これ以上どう頑張れというのかと。でも健常者である私にだっていろいろあり、頑張って生きているのですけどね・・・」頑張るという言葉は、その使い方が難しいものです。

 

 スポーツの世界でも、「頑張れ、頑張れ」と選手は励まされます。長距離を走るマラソン選手を、沿道で見守る人達は大声で「頑張ってえ」と叫びます。人生というマラソンを走る私達にも、幼い時から今日まで「頑張って」の声がよくとんできました。やっと歩けるようになった赤ちゃんは「頑張れ、頑張れ!」と少し遠くから両手を差し伸べた両親に励まされます。運動会ではわが子に「頑張ってえ」とお母さん達が黄色い声援を送ります。「今度、就職試験だってね。頑張ってね」「うん、頑張るよ」 こうし会話は日常茶飯事です。

 

 しかしまた、あまりにも頑張らない投げやり状態でも問題があります。一体正しく頑張るとは、どういう事なのでしょうか?頑張るという言葉の語源は「目をしっかり開いて見張ること」だと学んだことがあります。頑張るの「がん」の漢字は、もともと双眼鏡の眼、つまり見るという意味合いの言葉でした。そうなると、頑張るとは、目をしっかりと見開いて、見るべきものをしっかりと見据える、その努力をする、とう事になります。ここで二つの聖書の言葉が、思い浮かびます。

 

 第一は「力の限り見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」箴言(しんげん)4章23節です。

 

 生きる上で、本当に大切なことは、自分の心をしっかりと見張っておくこと。心さえ見張っておけば、状況いかんは二の次の問題になります。そして神様にしっかりと守られた心は、物事を健康的、建設的に判断でき、またどんな状況の中であっても生き抜くことが出来ます。

 

 第二は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」へブル人への手紙12章2節

 

 頑張るとは、見るべきものをしっかりと見るという事でしたが、その対象者は神の子である主イエス・キリストが最高の方です。お金を見て暮らす人は、お金に捕えられ、仕事を見て暮らす人は、仕事に捕えられ縛られます。しかし、イエス・キリストを見て暮らす人は、神の愛と希望に捕えられます。あなたのこうした意味合いにおいて、頑張って生きていかれませんか。