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2016年10月「期待をかける、それは愛」

あなたの心が元気になるとき、それはどんな時でしょう?いろいろな理由が考えられますね。こんなお話があります。

 

 大変貧しい地区に住む若者達を対象に、ある調査団体が、彼らの生い立ちや家庭環境、生活環境を調査しました。その結果、若者達の将来は暗く、何の期待ももてないだろうという調査報告がなされました。それから20数年の歳月が流れました。

 もう一度、当時の少年たちがその後どのような人生を歩んでいるのかを調べることになりました。その結果は、予想に反したものでした。というのは、少なくない少年たちがビジネス界で成功していましたし、中には医者や弁護士になり社会の中心で活躍している者もいました。後になって分かったことは、彼らの成功の影には、一人の先生の存在があったということでした。その先生に「貧民街からあんなにたくさんの立派な人が育ったことは驚きです。一体彼らをどう指導したのですか?」と聞きました。「簡単なことです。私は彼らを愛し、彼らに期待をかけたのです。」と答えられたという事です。

 私は、誰かを愛するとは、その方に期待をかける事であり、反対に期待をかけないことは愛していないことにもなる、ということを教えられたように思いました。

 

 ある時、イエス様もその弟子ペテロに期待をかけてこう話されました。

 

「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 ルカによる福音書22:31~32

  

この時、ペテロは今にも愛する主を裏切ろうとしていました。しかし、傲慢にもそのことに気づかないで、私はあなたと共に死ぬ覚悟すらできていますというほどでした。恥ずかしい、情けないペテロ。しかし、主イエス様はそのペテロのために祈られ、なおも彼に期待をかけました。そして、尊い福音伝道の働きは、この弱くて、罪深いペテロの手に託されていきました。

また、ペテロが立ち直った時には、仲間を励ます役割をするようにとも、お命じになりました。主のご期待を一身に受けたペテロは、その後どうなっていったでしょうか?

ペテロは、主の十字架と復活という激動の中をくぐりぬけながら、彼はたくましく成長し、主の御期待に見事に答えて初代教会の重要人物として、用いられていくのです。

 

 あなたにも神様の期待がかかっています。この社会で、役に立たない、必要のない人は一人もいません。今日、命があるということはそういうことなのです。たとえ寝たきりでも、神の目には、そこに使命があります。何かの為、誰かの為に、私たちは生かされている事を覚えて、与えられた一日、一日を愛おしみながら歩ませて頂きましょう。