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2017年3月「真実の愛の手」


 人を本当に生かすもの、それは真実の愛でしょう。

 ある文学作品での話です。一人の紳士が、もう暗くなった夜の道を我が家へと急いでおりました。ものかげから、一人の浮浪者がはい出てきて、この紳士を呼び止めました。浮浪者は、「どうぞ、神の愛によってお恵みを」といって、うす汚れた手を差し出しました。

 

 紳士は立ち止まり、ポケットに手を突っ込み、お金をさがしました。ところが、あいにく持ち合わせのお金がありません。浮浪者は何かもらえるものと期待して、痩せて角ばってしまったほおを紳士に向けながら、ぶるぶる震える手を差し出しました。そして、じっと彼を見上げておりました。

 

 紳士は大変困ってしまって、気の毒そうな声で、こう言いました。「きみに少しでも上げようと思ってさがしたんだが、あいにく持ち合わせのお金がないんだよ。すまないなあ。許しておくれ。」そういって、この紳士は、差し出されたうす汚い手をしっかりと握り締めました。

 

 びっくりしたのは、浮浪者のほうでした。彼は、紳士の手をしっかりと握り返していいました。「だんな様。本当に有難うございます。だんな様の暖かい手と優しいお言葉。私は今まで、こんな心のこもった施しを頂いたことはございません。」 彼は紳士の手の上に熱い涙をはらはらと流したという事です。

 

 どんな人であっても、本当に求めているのは、お金や物ではなくて真実の愛であることがわかります。

 

 聖書の中にも、これに似た話がでてきます。イエスさまの弟子であったペテロとヨハネが祈りの時間に宮にのぼって行きました。そこに生まれつき足の悪い男が施しをもとめて座っていました。ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めました。しかし、ペテロはこういいました。

 

「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって、歩きなさい。」

                                              使徒の働き3章6節

 

そして、彼の右手を取って立たせました。するとたちまち彼の足とくるぶしが強くなり、躍り上がってまっすぐに立ちました。彼は、大喜びで神様を心から讃美致しました。

 

 今の時代にも同じことが起こります。どなたでも、心を開いて「イエス様、あなたがおられる事を信じます。わたしの心の中に来て下さり、私を強くして下さい。」と祈る時、本当にイエス様が心に中に入って下さるのです。その人は、どことなく心が強くなるのを経験します。神様の霊、聖霊は生きておられ、現実に力を発揮されるからです。

 

 今日、孤独な方がいますか?イエス様があなたに向かって愛のこもった手を差し出しておられます。「私がここにいる。私が、あなたの手をとって一緒に歩んであげよう」と言われます。

 

 中には「いや私にはその資格がない。こんな自分勝手な私は顧みてもらえないだろう」と思っておられるかもしれません。そんな事はありません。イエス様はあなたをそのままで愛しておられます。

 

 なぜなら、イエス様が、私達の罪も汚れも、十字架で死なれる事ですべて解決して下さったからです。イエス様の温かい愛のみ手に、よりかからせて頂きましょう。あなたの足腰は、必ず強くなります。