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2017年4月「真の自立」


 人と人が助け合って生きることは、素晴らしいことです。ユダヤ教の中には、人に何かをして差し上げる時、そのやり方によって8段階のやり方があると教えているそうです。

 「施しの8段階」といわれるものですが、値打ちのあまり高くないものから、高いものに向かって並べると次のようになります。

 

第1「ぷんぷん怒りながら施す。」

これはぶつぶつと文句を言いながら、それでも施す場合です。

 

第2「ニコニコしながら、しかし自分ができるよりもはるかに少ない物を施す」

これはよくある話です。

 

第3「下さいと頼まれてから、相手に施しを手渡す」

 

第4「頼まれなかったが、すすんで自分から施しを手渡す」  

できれば、こうありたいものです。

 

第5と第6は少し、ややこしい内容です。

第5「受ける側は、与える人が誰であるか知っている。 

与える側は、受ける人をしらないで施す」

 

さらによいのは第6、それは第5の反対で

「受ける側は与えた人を知らない。与える側は受ける人を知っている」

これは、もらった人は、与えた人が誰であるかは知らないほうが、なお貴いという事でしょう。知れば、感謝の気持ちが与えた人に送られるからです。

 

第7「誰が与えたか、誰が受け取るか、互いにまったく知らない。 

これは実にすがすがしいものです。互いに道であっても気をつかう必要がありません。

 

さて、最後の第8は何でしょうか?それは、

「困っている人が、自分で自立するのに必要な手助けをする」というものです。つまり、与えて終わりの関係ではなく、本人がもう施しなどに頼らなくてすむまで面倒をみるという関係です。これは一番難しいことですが、一番大切なことです。やはり最終的には本人の自立の問題が出てきます。

 

私は、この自立を力強く手助けしてくださる方が神様ではないかと思います。神様は、わたし達の心の内側を強くたくましくして下さいます。結局のところ、わたし達の内なる心さえしっかりしていれば、どんな状況になっても、人は踏ん張りながら生きていけますね。反対に、その心が弱く安定感を欠いているならば、いつまでたってもその人の自立は危ぶまれるという事になります。

 

信仰の人、ダビデはこういいました。

「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私の魂は楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう」詩篇16篇8節

 

ダビデは、神様を堅く信じていました。普段にも特別な時にも、神様だけが、自分の歩みを安心して委ねられる、人生の総責任者だと信じ疑いませんでした。そして、そのような素直な信仰により、彼の心は平安となり、力を得て、魂は楽しみ、その身もまた安らかになったのです。神様へのまっすぐな信仰は、私達の生きる力です。ダビデと同じようにあなたも「神様あなたを信じます。私の人生にきて下さって、私に平安を与え、導いて下さい。」と祈られませんか。神様は、必ずあなたの心を強くして下さる事でしょう。