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2017年5月「自由と愛のあるところ」


  ずっと以前の話ですが、地区の牧師会に出席したおりの事です。牧師夫人も参加して、大変なごやかな雰囲気です。雑談の時、話がお互いの家族のことに及びました。ある牧師が、自分のことを娘がこう話したと、楽しそうに紹介してくれました。

 「お父さん、ノーベル賞をとったあの方は、癒し系だけど、お父さんはね、上からものをいう威圧系だね。それからお父さんにあるのは、3つの「ない」だよ。ほめない、おだてない、あやまらない・・」

 これを聞いていたわたし達が愉快になったのはいうまでもありません。また、この牧師の息子は、めったに褒めないこの父親に褒められることを目標にしていたようです。そして現在は、もう大人になりましたが、まだ腕相撲では父親に負けるらしく、これに勝つことにやっきになっていると話してくれました。牧師は、息子に負けまいと毎日ダンベルで鍛えていると、太い腕をみせてくれました。私は、この牧師家庭のほのぼのとした自由な雰囲気に神の家族の恵みを思いました。

 

 さて皆さん、神様の御国もこのように自由と愛にあふれたところです。私はよく、教会とか、聖書とか、神様とかは何かしら窮屈で、堅苦しいと思われる方に出会ってきました。確かに、教会も弱い人間の集まりですから、問題がないわけではありません。でも、そこには自由の主である、イエス様からくる真の自由があります。イエス様はこう言われました。

 

「もしあなたがたが、わたしの言葉にとどまるなら、あなたがたは本当にわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネによる福音書8:31~32

 

 「真理はあなたがたを自由にします」とは、とても響きの良い言葉ですね。では、その真理とは何でしょうか? それは、この世界を造られた唯一の神様がおられること、人間はこの神様によって造られ、愛されていること、しかしわたし達の罪によって社会が混乱状況に陥ったこと、イエス・キリストこそ、その罪から人々を救うために身代わりに十字架で死んで下さったこと、信じる者は命を頂く事。これが聖書の教える真理です。

 

 私は、自分が神に限りなく愛され、また人に言えない罪も醜さもすべてイエス様の十字架で解決されている事を知った時、本当に自由な気持ちになりました。また私は私でいいのだ、自分に与えられている物の中で精一杯に感謝していきていこうと思えるようになったのです。

 

あなたは人の目や世間体から自由でしょうか? 自分の性格を嫌っていませんか? 病気や死への恐れから自由でしょうか? 神様を信じましょう。そうしたものから解放されます。

信仰は窮屈な生き方ではありません。神様は私たちの目の前に、自由への一本のレールを引いて下さいました。列車がレールの上でこそ、安全で自由なように、私たちも神様への信仰のレールをしっかりさせる必要があります。そうすれば、あの牧師家庭のように笑い声のたえない、自由な温かい家庭がうまれるのです。