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2017年8月「どんな時にも希望がある」


 ある時の新聞に、知事の論説がのっていました。地方行政を推進するにあたって、これまでの経済成長一辺倒を反省して、「がんばらないこと」を推奨したというものです。

 

時間的な余裕ややすらぎ、自然環境などを大切にして、とかく遅れていると言われるこの地方を「日本のあるべき美しい所、また限りなき可能性を秘めた大地」として、評価しなおし、一人一人がより人間的に、よりナチュラルに、素顔のままで生きていけるように取り組みを始めたとの記事。何か、ほのぼのした気持ちになったのを覚えています。

 

 私たちはとかく、頑張って獲得する世界に生きています。子供の頃から、良い学校、良い成績、良い進学先、そして良い就職先を獲得するために頑張りが期待されてきました。いつも何かに急き立てられ、もっと前へ、もっと前への忙しい生き方です。回りの人はいつも競争相手のようですから、気を抜く事ができません。しかし、目標をあげて、自分を叱咤激励して突き進む世界は、人として生きる大切なものを見失っていきがちです。

 

 聖書の中にでてくる十戒、すなわち十の戒めの、第3番目の戒めは「安息日を覚えて、これを聖とせよ」というものです。 

 

 この教えの直接的な意味は、週のはじめの日、つまり日曜日を聖なる日として、仕事をせずに神様への礼拝にあてるようにとの戒めです。と同時に、これは私たちの体と魂が安息、休みを必要としていることを教えています。安息とは、ヘブル語でサバトといい、それは、ストップすること、活動停止を意味しています。天地創造のはじめに、神様がすべての創造の業を離れて、休まれたところからきています。 

  

 ですから、この決まりは、私たちが、がむしゃらに何事かを成し遂げていくことから離れて、すでにあるもの、すでに頂いているものの豊かさに気づく事を教えているともいえます。私の休日は月曜日なのですが、この日はなるべく仕事をしないで、近くの野原におにぎりとお茶をもってでかけたり、小鳥のさえずりを聞き、吹く風の匂いや野の花を楽しみ、好きな本を読んだりしようと心がけています。なるべく、休日は、何かを具体的に為すために使う時間ではなくて、ただ私が生きていることの喜びのために使う時間、すでに神様が私のためにご準備くださった、もろもろの素晴らしいものに、気づき、目をとめ、それを楽しむ時間にできたらいいなと思います。こうする事で、身も心もリフレッシュして明日に向かえるからです。

 

 私達は、とかく休む事に抵抗を覚えるものですが、この安息日の教えは、神様からの御命令として頂いている事は注目に値します。休みは取ったほうがいい、取れたら取りなさい、ではなくて、「休んでゆっくりしなさい」と言っているわけです。皆さんはきちんと安息をとっておられますか?

 

 人によっては、仕事に、介護にと多忙で、ゆっくりしたいと願えどもかなわないという場合もあるでしょう。そのような状況が少しでも改善されますように・・。そして、どなたであっても、休むこと、ゆっくりすることで心身共に英気を養われて、明日に向かう事できますように。それが創造主なる神様の御心です。