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2017年12月「貧しさの中にある宝物」


 12月はクリスマスを祝う月。それにまつわる聖書のみ言葉を初めに、開きましょう。マタイによる福音書2章9節から11節です。

 

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子(おさなご)のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)を贈り物として献げた。」

 

 学者達がイエス様のところにたどり着くには、星の導きはなくてはならないものでした。聖書には、学者達と一緒に歩いた人が一人も描かれていませんので、彼らの旅路は孤独なものだったと予想されます。また本当にイエス様を探し当てられるのかという不安もあったことでしょう。しかし彼らは、星の光に信頼を寄せ続け、ついには救い主に出会えたのです。

 

私達の人生を先だって導く星の光にも似たものをもっておられる人は幸いです。

 

 ヨハネ8章12節でイエス様は言われました。

「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

 

東の国の学者達は、確かな星の光に導かれて、世の光として来られた救い主イエス様に今まさにお会いしようとしていました。そして、ついにその家は見つかりました。彼らは、中に入りました。みすぼらしい家、同じようにみすぼらしい身なりのマリアとヨセフ、そして幼子イエス様がおられました。学者達は喜びに溢れ、ひれ伏して幼子を礼拝しました。

 

考えてみれば、不思議な光景です。権威ある学者達が、王の宮殿に生まれたのでもない、貧しく弱い幼子を礼拝したというのです。彼らは、この思いがけないところに誕生した救い主を、信仰の目をもって確かに捕える事ができたという事です。 

 

私達の人生でも真実は隠れていることが多いものです。私達の目は、すぐに何か秀でたもの、立派なもの、目立つものに引き寄せられます。しかし、神様の目は違います。神様は、人間が見るようには見ないからです。私達は聖書の世界に触れるとき、見えている物の奥にある真実の世界に気づくようになります。貧しさの中に、病の中に、思い通りにいかない人生の中に、神様がご準備された宝物を見つけることができるようになります。馬小屋から始まって、十字架の死に至ったキリストのみじめな生涯の中に、永遠の命の光が輝きだしているのに気づきます。

 

その気づきがあったからこそ、学者たちも、救い主イエス様の誕生を喜び、精一杯の宝物である、黄金、乳香、没薬を献げたのです。私達も聖書の隠された恵みに目が開かれる時、きっと私達の持っている最高のものをイエス様に献げたいと思うに違いありません。