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2018年4月「問題の受け止め方いかん」


 何かの問題を抱える時、その受け止め方は人によって異なります。ある方は、この苦しみにも何かの意味があると積極的に受け止める努力をします。しかし、ある方は、この事は決して受け入れられないと最後まで心を閉ざしてしまいます。皆さんは日頃、問題がやってくる時、どちらにより近い対応をなさっておられますか?

 

 すでに天に召されましたクリスチャン作家、三浦綾子さんのご友人に野村伊都子さんという方がおられました。野村さんは、若いときに腎臓結核という病気になりました。膀胱(ぼうこう)に感じる激しい痛みの中で、眠ることさえできない日々が続きました。

 

 しかし彼女は、その痛みに耐えながらも、目の見えない方のために、点字のご奉仕を行い、多くの結核患者さんがその事で励まされたそうです。また、人生の晩年には、肝硬変という病気になり、死の宣告を受けました。そのような日々の中で次のように祈りました。

 

 「神様、今日の重荷は何でしょうか?今日、肉体の激しい痛みに耐えることが私の重荷なら、それを負いましょう。もし同じように苦しみに会っている方に、慰めの手紙を書くことが今日の重荷なら、それを負いましょう。」

 

 何という祈りでしょう・・・。もしも私が同じ立場なら「神様、この痛みを、どうぞどうぞ取り除いてください。あなたは全能の方、奇跡をもなさる方ではありませんか。」と訴えるのが関の山のような気がします。

 

 しかし同時に、もし聖霊によって強められるならば、人間はこんなふうに祈れる力、気高さも与えられ得るのだと、静かな勇気も頂きました。

 

 主イエス・キリストの弟子、パウロは苦しみの中で、次のような神様の語りかけを聞き、勇気づけられました。

 

「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」

コリントの信徒の手紙12章9節

 

 パウロには、何かの苦しみ、悩みがあったようです。彼は、それを取り除いて下さいと3度も神様に願いました。

 

 「神様、こんな苦しみがなく、元気で自由に動けるほうが、もっともっとあなたの働きが力強くでるはずです。だから、この苦しみは不要です。どうぞ取り去って下さい」とお願いしました。

 

 しかし、神様の答えは、「そうではない。むしろ、あなたのその弱さと苦しみがあるからこそ、あなたは私に頼り、頼ることにより、もっと大きな働きが出来るのです。なぜなら神である私の力は、あなたの弱さを通して働くのだから」と、神様はパウロを諭されました。そして、実にそうなりました。

 

 さて、今日皆さんの問題が長引いているのは、もしかすれば、弱さを通して働かれる神様の恵みを、皆さんが体験し、それにより信仰が成長する事を神様が願っているのかもしれません。

 

 今日から、その重荷を積極的に受け止めてみませんか? 問題から逃げても心は明るくなれませんね。こう祈りませんか。「神様、これはあなたが下さった試練です。ですから耐える力も与えて下さるはずです。あなたを信じます。」