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2019年3月「自然のままに」


 私たち人間は思い煩(わずら)いの名人ではないかと思うほどに、いろいろなことを気にかけ、そして思い煩ってしまうものです。犬も猫もその他の動物たちもそんなに悩んでいるふうにはありません。人間だけがお金がなくなったらどうしよう、病気になったらどうしよう、このままでは子供は駄目になってしまう、どうしよう・・と心配の種がつきません。そんな私たちには、聖書はこう語りかけてきます。

 

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日みずからが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 

              マタイによる福音書6章34節

 

 この少し前で、イエス様は思い煩っていないものの見本として、空の鳥を見なさい、野の花を見なさいと勧めています。空の鳥は年中、あちらこちらと小さい旅、大きい旅をしていますね。ですから、彼らにとって「蓄え」というお荷物は邪魔になります。鳥たちはいつも大自然まかせ、くったくなく生きています。愛らしい野の花もまた、太陽の光の下、雨風を受けながら、自然に芽生え、花を咲かせ、実をつけて子孫を残し繁栄しています。

 

このように神様は、鳥たちや草花が生きていくのに何が必要であるのかをよくご存知で、見守っておられます。であるならば、なおさらのこと、もっと優れた私たち人間が生きていくために何が必要であるのかを、天の神様が知られないはずがありません。だから、私たちに思い悩まないようにと諭(さと)しているのです。

 

また「明日のことは、明日みずからが思い悩む」という言葉が心に留まります。明日になれば、明日の私が当然その日のことに向き合うのだから、明日の苦労を今に持ち込まないように、さらには、明日の命は神様のみぞ知るのですから、今思い悩んでも仕方がない、そんなメッセージも伝わってきます。

 

 坂村真民(さかむらしんみん)さんの書かれた詩に「サラサラ」という詩があります。

 

「サラサラと風が吹く サラサラと川が流れる 

ああ 動いてゆくものの ひびきのよさよ 

そのいのちの音の さわやかさよ 

力んだら あのような妙音(みょうおん)にはならない 

自然に任せているから えもいえぬ いい音となるのだ」 

 

 力まず 自然にまかせて 命の音をだしている風や川の音。神様も今日、あなたに向かって「力まないでいいんだよ、思い悩まないでいいんだよ、お前の命は私の手の中に握り締められているのだから、そんなに先々のことまで思いわずらわないで、許された今日という日の命を喜び、精一杯生きてごらん。自然体で、あなたの花を咲かせてごらん」と呼びかけておられるのではないでしょうか?