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2019年4月「なぜ怖がるのか?」


  人生には突発的な出来事が起こることがあります。今日、開く聖書の箇所もイエス様と弟子達が乗り込んだ船が、急な嵐にあい、船が沈みそうになるという出来事です。吹いてきた風の勢いがあまりに強かったために、激しい波しぶきとなり、船は木の葉のように揺れて今にも沈みそうでした。聖書は、そのときの弟子たちと主イエス様の姿をこう記しています。

 

 「イエスが船に乗り込まれると、弟子達も従った。そのとき、湖に激しい嵐が起こり、船は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子達は近寄って起こし「主よ、助けてください。おぼれそうです。」と言った。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄いものたちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪(なぎ)になった。」 

                マタイによる福音書8章23節~26節

 

激しい嵐に出会うとき、弟子たちもそうでしたが、誰も恐れ、とまどわない人はいません。自然な姿です。人生の嵐も同様です。突然、自分が悪い病気にかかっていると分かったり、あるいは夫や子供がそうであると知らされたとき、大きなショックと動揺を覚えるのは当たり前のことでしょう。中身は何であっても、自分のコントロールが全くきかない場面に立ち至るとき、足がすくみます。恐ろしいものは恐ろしい、不安なものは不安です。

 

しかし、肝心なことはその後ではないでしょうか? いつまでもその気持ちに翻弄(ほんろう)される事、この事のほうがもっと問題です。悩みを悩んでしまう、苦しみを苦しんでしまい、底なし沼のようになってしまうからです。どうすればいいのでしょうか? イエス様の弟子のとった姿に注目しましょう。彼らはあわてふためきながら、船の同船者であった主イエス様のところに助けを求めて行きました。そして「助けて下さい。おぼれそうです。」と窮状をそのままに訴えました。

 

イエス様は弟子達の信仰の弱さを嘆かれながらも、すぐに起き上がって風と湖に向かって、「黙れ、静まれ」とお命じになられました。これはマルコ4章に出てくる主の言葉です。すると、すっかり湖は静かになったのです。主イエスが声を発せられるとき、嵐は凪に戻る、ここに信仰の奥義があります。

 

 心が今騒いでいる方がいるでしょうか? 自分の力ではどうする事もできない状況を抱えて、嵐の浪間を漂っている方、波立って仕方がない自分の心と戦っている方がいますか? 今こそ、神様の助けを求めて、祈りましょう。窮状を訴えましょう。心に確かな平安の訪れるまで祈りましょう。

 

 祈るうちに、神の霊が働いて、静かな御声が聞こえてきます。「なぜ怖がるのか? 怯えるのか? あなたの人生航路の船には、神である私が同船しているではないか。創造主なる私が共にいると言っているのに、他に何が不足しているというのか? 私こそがあなたをこの地上に生み出し、今も生かしている者。私は造ったがゆえに最後まで責任をもって守りぬく。恐れるな。おじまどうな。」と。